back | |
赤石山系登山報告書 2010,5,9 | |
○日程 2010年5月1日(土)〜5月3日(月) ○山行形態 テント泊 ○交通機関 マイカー ○参加者 T.A、N.U ○アプローチ < 行き 5/1 >
○コース 5/1 マイントピア別子〜〜〜肉淵……小箱別れ……峨蔵越(1266m)(テント泊) 13:25 14:51 16:13 17:30 5/2 峨蔵越……二ツ岳(1647m)……エビラ山(1677m)……黒岳(1635m)……権現越 5/3 赤石山荘……前赤石……雲原越……物住頭……西赤石(1625m)……(銅山越) ○共同装備 救急薬、 |
|
○山行記録 5月1日(土) 山仲間のATさんと、四国の赤石山系へ、途中の高速道路が混むであろうことを想定して、かなり早めに出発したものの、しまなみ海道には乗り遅れ、松山自動車道にも乗れず・・・と散々だったが、(カーナビが1Gの為、ドライバー判断に頼るところが大きい?)それでも立川町の道の駅「マイントピア別子」には、きっちり到着した。 ここから別子山地域バスのマイクロバス臨時便13:25発に乗る(肉淵まで400円)、発車後すぐに鹿森ダムのループ橋を通り、足谷川〜銅山川沿いにどんどん山奥に入っていく。乗客は5人、細い山道を上り下りしながら途中々乗客を一人ずつ降ろしていく。出発して約1時間、最後の乗客の僕たちは、ようやくバス亭「肉淵」で降りた。 暫くは舗装された山道を歩き、16時10分赤石山系登山口に着く。よく整備された登山道を歩くこと1時間あまり、途中2箇所の小さな沢があり今日明日の水を調達。後で分かったことだが、最後の沢が水が豊富で、峨蔵越まで5分くらい。17時30分峨蔵越到着、標高が1266mあり多少寒い、すぐにテントの設営にかかる。ATさん持参の缶ビールをいただく、ありがたい。 私は、荷物を軽くしようと夏用の安い寝袋を持参したが、これが大失敗!結局ゴアの雨具まで着たが寒くて震えっぱなしだった・・・おまけに悪夢までみた。 空気が冴え渡っているせいか、白く輝く月が印象的だ。 <予備知識> 別子銅山は、日本三大銅山のひとつで、元禄4年(1691)に開抗され、昭和48年に閉山となるまで、283年という長きにわたり掘り続けられ、世界一の産銅量を誇った大銅山。 ここマイントピア別子端出場ゾーンは、昭和5年より閉山までの採鉱本部跡に建設されている。 標高750mの山中にある東平(とうなる)は、大正5年から昭和5年までの間、別子鉱山の採鉱本部が置かれ、社宅・小学校・劇場・接待館が建てられるなど、昭和43年に休止するまで町として大変な賑わいをみせていた。 5月2日(日) 今日も天気がいい〜 震え上がった夜もようやく明け、パンとスープで朝食を済ませ、テントをたたんで6時35分出発。よく整備もされていて迷うことも無い稜線を快適に歩き、7時47分二ツ岳(1647m)山頂。 この先、エビラ山(1677m)〜黒岳〜権現山(1594m)と続くが、ところどころの岩こぶを、そのまま越えようとすると、確かに、命がけになりそうだが、要所々には巻き道があり、稜線を大きく外さないように進む。またこの稜線にはシャクナゲが多く、その時期はさらに楽しみも増すだろうが、炎天下では歩きたくないなぁ〜 次第に赤石山の稜線が大きく見えてくると、権現越も近い、赤石山系のハイライトは終わり。結局これまで他の登山者に会うことは無かった。 権現越から東赤石山に登る途中、赤石山荘へのトラバース道を行くことにした。いい加減くたびれかけた頃、ようやく東赤石山への分岐点につく、ここでザックをデポして東赤石山(1706m)へ、14時10分山頂到着。山頂はさすがに人が多く、慌しく写真を撮り下山した。 赤石山荘に着いたのが14時50分、テント泊の為の場所代が一張り200円、小屋裏手の水汲み場で今日明日の水を確保してテント場へ。テントを設営し一息ついたところで、ATさんから缶ビール、またまたありがたい!(350ml×4缶=1.4kgをここまで運んで・・・感謝) 今夜はどうかと思ったが、やはり寒かった。うつらうつらしながら、頭上を吹き渡る風の音と、飛行機らしい爆音が妙に近いと感じた。 5月3日(月) 赤石山荘側のテント場を6時に出発し、物住頭(1635m)に7時10分到着。りっぱな銅板葺きの銘板に思わずタッチ、振り返れば遥か彼方に、昨日から歩いてきた峰々が見え隠れして何とも感慨深い。 西赤石山(1626m)山頂で賑やかな団体さんと遭遇、銅山越手前から右に分岐し角石原へ下山する。角石原の銅山峰ヒュッテは、泊り客がいるのかと思うほど静かな雰囲気で、ATさんは(40年ぶりらしい)上品なおかみさんと旧知のような話し振り。そして庭先に自慢げに咲き誇っていた花木が、シャクヤクと思ったが、実はヒカゲツツジだとおかみさんから聞かされた。 残念だったのが、東平(とうなる)を通り過ぎてしまったこと、東洋のマチュピチュと呼ばれているらしい、過去の産業遺跡だ。今では車で登って来れるので、いつの日かまた訪れてみたい。 鹿森ダムを目前にして、最後のドラマが登山道の頭上一杯に広がったツツジ、写真では全くわからないのが残念だが、ほんとうに綺麗だった。鹿森ダム傍の車道に出て、ループ橋を見上げながら、マイントピア別子までテクテク歩いた。 12時30分無事マイントピア別子に戻り、ATさんは40年ぶりに、私は初めての2泊3日の赤石山系縦走は終わった。 |
|
○感想 安い夏用の寝袋は大失敗だったが、初めての四国の山を好天にも恵まれ、また時の流れを少し感じながらの充実した縦走登山だった。 |
|
同行のATさんに感謝! |
|
back |